ひきうけた言葉
先週のお題が「一番古い記憶」だったので思い出したこと。
おそらく4、5歳の頃のことだと思う。
休日の朝、母が慌ただしく出かける支度をしていた。ついていこうとした私を玄関先で振り払い、「絶対に外に出ちゃだめ」ときつく言い、ドアの向こうに消えた。
居間では父が弟とテレビを見ていた。
しばらく玄関にいたと思う。
父に「一緒にテレビを見よう」と呼ばれたような記憶もある。
気がつけば私は靴を履き、外に出ていた。
向かいの家の前に人が集まっていた。知っている人も知らない人も大勢いたが、ほとんどが大人だった。
向かいの家は母の友人の家だった。家族ぐるみでつきあいがあったため、家のことはよく知っていた。少し前に赤ちゃんが生まれたことも当時の私は知っていた。
大人たちが大きな箱を運んできた。後にそれが棺だと知るが、当時の私はそれが何だか知らず、大きな箱が車に乗せられてゆくのを見ていた。
近所のお姉さんが私を見つけ、呼んだ。彼女は前にも書いた素敵な宝物を持つ小さなお姉さんで、私よりも四つ年上。当時は小学2年か3年だったと思う。彼女が手にしていた数珠を今でもはっきりと覚えている。記憶の中の小さなお姉さんは、私の知らない不思議なものや素敵なものを持っている人だった。
しばらくして、向かいの家の赤ちゃんが亡くなったことを聞いた。
乳幼児突然死症候群という言葉を知ったのは大人になってからだった。
向かいの家とうちのとつきあいは続いた。
理由は覚えていないが、向かいの家の奥さんと話す機会があった。
「赤ちゃんは、夜中に急に静かになって冷たくなっていったの」
もしかしたら会話ではなく、奥さんの独り言だったのかもしれないが、私はその言葉をはっきりと聞いた。
その言葉の意味はわからなかった。
成長するにしたがい、言葉の意味を理解したが、誰にも話さずにいた。
大人になってからは出産するまで子供と接することがなかったので、身近なものとして考えられずにいた。ただ、その言葉は私の心に居続けた。
出産し、生まれた子供のか弱さに、言葉の重さを感じた。
幸いなことに娘は健康ですくすくと成長している。
奥さんは、その後に二人子供を産んだ。風のうわさで孫が生まれたと聞く。
あの時の言葉など覚えていないだろうが、彼女が放った言葉はまだ私の心の中にいる。恐怖や戒めとしてではなく、置物のようにそこにいる。
おそらく私はこの言葉を引き受けたのだと思う。
投げ捨てて忘れてしまうことはできないが、抱えておくと重すぎる。そんな肩の荷を、荷の重さが理解できないから受けとめられたのだと思う。
おそらくこれが一番古い記憶の話。