けものへんに むし

本と食べ物と育児の話

土になる日

Cemetery.www.flickr.com Cemetery(MIKI Yoshihito)

  子供の頃、家庭に不満はなかった。経済的に満たされていたし、親が暴力をふるったり、理不尽な怒りをぶつけてくることもなかった。

 私には弟がいる。弟は、周りの人からかわいがられるタイプの人間だ。
 両親は弟をかわいがった。私も同様にかわいがられたが、なんとなく、かわいがられ方が違った。両親は動物を愛でるように弟をかわいがる。無条件に、そこにいるだけでかわいがる。私をかわいがる時には、理由をつけてかわいがった。かわいがるというより、誉めると言ったほうがいいか。「ピアノがうまくひけて偉いね」とか、「いつもお部屋がきれいで偉いね」とか。
 弟のように、そこにいるだけで「かわいいね」と言われたいと思っていた。

 気がつけば、家族に壁を作っていた。
 冷めた態度で両親に接するようになり、甘えたいのにあまのじゃくな態度をとったりした。両親はそれを親離れと判断し、私に構わなくなった。

 二十代の時に父が急逝した。
 お墓が必要になり、母とあちこちの寺院を見てまわった。
 墓を決め、納骨の際に、この墓には骨壷が三つ入ると聞いた。家族構成からすると、私は嫁に行く身。墓の跡取りは長男の弟の役目だ。
 嫁がなかったら、死んでも行く場所がないなと静かに思った。寂しさは感じなかったと思う。
「順番に入るから」
 母が言った。
「骨壷が置けなくなったら、みんなの骨を出して、一緒にお墓の下で土になればいい」
 骨壷に納められたままでなくともよいのか。
 長年身を取り巻いていた霧が晴れたような気がした。
 嬉しかったのだと思う。
 なぜなら、母の言葉は心に沁みた。思い出すたび、いつか土になれると、生きる希望を感じられるからだ。
 骨壷が三つしか入らないのは、墓の大きさの問題だ。私が疎外されたわけではない。私はそれまで不都合なことがおこった時に、自分が至らなかったからこうなったとひがんでいた。
 損をしていたな。納骨をしながらそう思ったのを覚えている。

今週のお題特別編「嬉しかった言葉」
〈春のブログキャンペーン ファイナル〉

スキマの話

暮らしの隙間暮らしの隙間(munechika tanaka)www.flickr.com

 子供の頃、公園には遊具がたくさんあった。
 その公園にしかない特別な遊具もあり、「あそこの公園にある巻き貝みたいな滑り台で遊ぼう」がちょっとしたイベントだった。
 近所の公園には砂場とブランコ、滑り台しかない。娘を連れて近隣の公園をまわってみたが、どこも同じ遊具しかない。
 滑り台は滑るものだが、台の上から飛び降りるものでもあった。近所の公園の滑り台は、背が低くて丸みをおびており、そういった荒っぽい遊びを好まないように見えた。

 回転塔やジャングルジムが危険だということからなくなったことは知っていた。だが、タコの形をした滑り台や、シーソー。かまくらのような形をした遊具(滑り台がついていたり、ドームの内側に入って遊べたりする)や、子供の背の高さほどのコンクリートの塀(丸や三角や四角の穴があいていた)、タイヤの跳び箱、木登りできる大きな木はどこに行ったのだろう?

 子供のことだから、限られた遊具でも大人が想像もつかないような遊びをするのかもしれないが、紋切り型の公園があまり好きではない。 

 町を歩いていて、嫌いではないが、こればかりだと息が詰まるものをあげてみる。 

 高層ビル、新築タワーマンション、安全すぎる公園、バリアフリーな公共施設、チェーン店の味。
 共通するのは、整いすぎていて、隙がないことだ。
 決まりを守っていれば快適さを約束された空間、食品というべきか。使用方法や感じ方がお仕着せな感じがする。こういった場所やものを前に「私はこう感じる」と言うと「これは、こういうものなんだよ」と返されそうな気がするのだ。
 チェーン店の味には、きっと迷いがない。同じ遊具(それも遊び方が決められたもの)しかない公園は、同じような遊びしかできない。

 古い校舎、団地、草ぼうぼうの空き地、隠れ場所のある公園、家庭料理。
 これらは時として危険で、不快なものをはらんでいる。それなのに、こういったものが傍にいると落ち着く。言葉にするのが難しいのだが、その空間や、味の解釈に想像力が働きやすいものがあると安心できるのだ。

 隙間という名の想像力が働くものが減っていると感じる。
 娘はこの公園や町で、どんな隙間を見つけるのだろう?

 ちなみに整い過ぎたものの中に、衣類(ファストファッション)が入っていないのは、私があまり着飾ることに興味がないからだと思う。

1歳、お気に入りの絵本

娘(1歳半)のお気に入り絵本。備忘録として。

 

 

もこもこもこ (ぽっぽライブラリ みるみる絵本)

もこもこもこ (ぽっぽライブラリ みるみる絵本)

 

  3ヶ月くらいから読み聞かせていた絵本。

 地面から、「もこもこ」「にょきにょき」と、色とりどりの「何か」が生えてきて、大きくなったり、ふくらんだりするだけなのに、なぜか大人も釘づけになる不思議な絵本。
 1歳になる少し前から「ぷうっ」とボールのようなものが膨らむシーンで、頬を膨らませて「ブー!」と息を吹きだすようになった。「ぷうっ」の発音を真似ると、口の中が気持ちいいのだと思う。1歳半になった今も続いている。

 

どっとこ どうぶつえん (こどものとも絵本)

どっとこ どうぶつえん (こどものとも絵本)

 

 

 最小限にまで省略されたドット絵で描かれた動物達の絵本。ドット絵好きな私の趣味の絵本だったが、娘に奪われた。

 対象年齢3歳からとあるが、1歳を過ぎた頃から興味を持ちだし、動物の名前を言いながらページをめくってやると喜ぶ。次々と違う絵が出てくるのが面白いようだ。
 本物の動物を知り、点が動物をあらわしていることを発見したりできたらもっと楽しいだろうと思う。最小限の情報でものごとを伝える美しさを知ってもらえたらいいな。

 

 

だるまさんの (かがくいひろしのファーストブック)

だるまさんの (かがくいひろしのファーストブック)

 

 

  「だるまさんの “め”」「だるまさんの “は”」と、だるまさんの体の部分の名前をあらわしていく絵本。

 読み聞かせをする時に、体の部位を指差すようにしていたら、1歳をすぎた頃から、単語にあわせて自分の体の部位を指差すようになった。
 目は指をさす。毛は髪を掴む。歯は口の中に指をつっこむ。手は私に向かって手をつきだす。尾は振り返ってお尻を見る。(これは、「あなたに尻尾はあるかな?」と、私がお尻をのぞきこんでいたからそうするようになったと思われる)。

 

あかちゃんにっこり〈1〉どこかなどこかな (あかちゃんにっこり (1))

あかちゃんにっこり〈1〉どこかなどこかな (あかちゃんにっこり (1))

 

 

くまちゃん くまちゃん どこにいるの?

みーつけた
いただきまーすの よだれかけに いるよ 

 

 赤ちゃんの衣類にかくれている動物達を探す絵本。
 先に動物が出てきて「どこにいるの?」と問いかける。
 ページをめくると赤ちゃんの服や靴に動物達が描かれている絵があらわれる。
 1歳を過ぎるまでは、ただ聞いているだけだったが、1歳を過ぎた頃から、ページをめくった後に、赤ちゃんの衣類などに描かれた動物を指差すようになった。
 1歳半になり、赤ちゃんの衣類に動物が複数描かれているページになると、すべての動物を指差すようになった。 

 

ひとつ・ふたつ・みっつ  赤ちゃんにおくる絵本 3

ひとつ・ふたつ・みっつ 赤ちゃんにおくる絵本 3

 

 

1から10まで数を数える絵本。ページをめくるたび1から順に数字が増えていくつくり。

  9ヶ月くらいまで見向きもしなかったが、風呂で湯船につかりながら数を数えるようになってから、読むと喜ぶようになった。 

 

くいしんぼうのあおむしくん (こどものとも傑作集)

くいしんぼうのあおむしくん (こどものとも傑作集)

 

  私が子供の頃読んだ絵本で一番印象に残っている絵本。

 大人になってから買い直したものなのだが、まだお話を理解できない(聞いていることもできない)というのに、なぜかこの本を持ってくる。どうも絵が気にいっているようだ。
 幼稚園児のまさおくんが拾ったあおむしがくいしんぼうで、何もかも食べてしまう話。本当に何もかも食べてしまうので、子供の時かなり衝撃を受けた。大人になってから買い直し、裏表紙を見て衝撃を受けた。そこまで行くのか。

 

【傾向】
 お話を聞くより、指をさすなどして、自分から働きかけられる絵本が好き。
 内容がわからなくても、絵が気にいったものは読んでもらいたい(次々とページをめくってもらいたい)ようだ。