けものへんに むし

本と食べ物と育児の話

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暮らしの隙間暮らしの隙間(munechika tanaka)www.flickr.com

 子供の頃、公園には遊具がたくさんあった。
 その公園にしかない特別な遊具もあり、「あそこの公園にある巻き貝みたいな滑り台で遊ぼう」がちょっとしたイベントだった。
 近所の公園には砂場とブランコ、滑り台しかない。娘を連れて近隣の公園をまわってみたが、どこも同じ遊具しかない。
 滑り台は滑るものだが、台の上から飛び降りるものでもあった。近所の公園の滑り台は、背が低くて丸みをおびており、そういった荒っぽい遊びを好まないように見えた。

 回転塔やジャングルジムが危険だということからなくなったことは知っていた。だが、タコの形をした滑り台や、シーソー。かまくらのような形をした遊具(滑り台がついていたり、ドームの内側に入って遊べたりする)や、子供の背の高さほどのコンクリートの塀(丸や三角や四角の穴があいていた)、タイヤの跳び箱、木登りできる大きな木はどこに行ったのだろう?

 子供のことだから、限られた遊具でも大人が想像もつかないような遊びをするのかもしれないが、紋切り型の公園があまり好きではない。 

 町を歩いていて、嫌いではないが、こればかりだと息が詰まるものをあげてみる。 

 高層ビル、新築タワーマンション、安全すぎる公園、バリアフリーな公共施設、チェーン店の味。
 共通するのは、整いすぎていて、隙がないことだ。
 決まりを守っていれば快適さを約束された空間、食品というべきか。使用方法や感じ方がお仕着せな感じがする。こういった場所やものを前に「私はこう感じる」と言うと「これは、こういうものなんだよ」と返されそうな気がするのだ。
 チェーン店の味には、きっと迷いがない。同じ遊具(それも遊び方が決められたもの)しかない公園は、同じような遊びしかできない。

 古い校舎、団地、草ぼうぼうの空き地、隠れ場所のある公園、家庭料理。
 これらは時として危険で、不快なものをはらんでいる。それなのに、こういったものが傍にいると落ち着く。言葉にするのが難しいのだが、その空間や、味の解釈に想像力が働きやすいものがあると安心できるのだ。

 隙間という名の想像力が働くものが減っていると感じる。
 娘はこの公園や町で、どんな隙間を見つけるのだろう?

 ちなみに整い過ぎたものの中に、衣類(ファストファッション)が入っていないのは、私があまり着飾ることに興味がないからだと思う。

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